「で?」
「………」
「エルリック。君は何回私を困らせたら気が済むのかな」
夕日の差し込む国語科職員室で、マスタングの鋭い眼光がぐさぐさと俺に刺さる。俺はつん、とそっぽを向いたまま。俺たちの間の不穏な空気を察知したらしい他の国語科教員たちは出ていってしまっている。
なんでこんな状況になっているのかと言うと。
「ニートパチンカーヒモ。素晴らしいの一言に尽きるな」
そう、昨日の放課後に提出した、あのふざけた進路希望調査書のせいだったりするのさ。
レゾンデトル 2
「あのね、エルリック」
ふー、と疲れたように息を吐いてマスタングは頭を前に垂れた。
「君が真剣に希望するところであれば別に有名大学じゃなくても、どんなところでも、いいんだ。私は反対しない」
「………」
「……が、これはないだろう」
「………」
「書き直し」
「えー!」
目の前に突き付けられた真っさらな進路希望調査書にブーイングする。こんな面倒極まりないもの、期限内に提出しただけでも俺にとっては奇跡に近いのに。これから家帰って夕飯なんだよ、と零すと、マスタングの顔が呆れに変わった。
「エルリック、」
「俺真剣にその進路希望なんだけど」
だから書き直しはやめて早く帰らせてくれ、と訴えても無視され、代わりに無理矢理右手を開かされ、そして無理矢理ペンを持たされる。
黒髪教師を睨んでみても効果は無い。相変わらずマスタングは呆れ顔をしたままだった。
「言っておくが、三者面談の資料としてそれを使うんだぞ」
「知ってるよ」
「親御さんが泣くぞ」
「………」
ははあ、そういうことですか。
渡されたペンをくるくると回しながらどう切り抜けようかと考える。有名大学名でも適当に書いておいたら、こいつは他の教師みたいに喜んで、さっさと帰してくれるだろうか。多分、それは無い。さてどうしようか。
考えれば考えるほど、手の中のペンはくるくる回る。いつもより多めに回しております。
しばらくは二人とも無言を保っていたが、やがてマスタングが沈黙を破り俺の書いた進路希望調査書を再び読み上げた。
「ニートパチンカーヒモ」
「………」
「ニートね。第一志望の理由は?」
「せんせえには関係無いです」
「いーや、あるね。この間も言ったが私は君の担任だ」
この間、というのはあの援交の夜のことなのだろうか。思わず顔をしかめる。こうやって何でもかんでも理由をつけては俺のことに首を突っ込もうとするこいつが、俺は心底苦手だった。
俺が何をするかは俺の勝手だし何を考えるかも俺の勝手だし、こうして他人に何か言われるのは煩わしい。他人の心配をしてるふりをするだけの偽善者が、何ができるというのだろう。
「答えなさい」
マスタングが一際強い口調でそう言った。
ラッセルが言った通りだ。怒ったよマスタングのやつ。
俺は回していたペンをマスタングの机の上に放り、ぶっきらぼうに質問に答えた。
「何もしたくないからです」
「何もしたくないから、ね。じゃあ、パチンカーは?」
「楽に金を稼いでみたいからです」
「最後のヒモは?」
「養ってもらいたいからです」
「……君ね……」
よどみなく答えた俺に、マスタングの表情が呆れに戻る。もう帰っても良いですか、と言うと、間髪入れずにノーの答えが返された。
夕飯、間に合うかなあ。そんなことをぼんやり考えているとこつこつと机を叩く音がしたので、再び意識をマスタングに向けた。
「他の二つはともかく、ヒモというのは女性に失礼だな」
そう言ったマスタングの口元には厭味な笑みが浮かんでいる。
「……言ってろよこのエロ教師」
「エロ?心外だな」
目の前の男はそう言うと軽く肩を竦めた。心外だなんて言ってるが、こいつはエロだ、エロ。休み時間になるたびに多くの女子にまわりを囲まれてへらへら笑っているこいつに、女に失礼だなんて言われたくない。ああやっていつでも胡散臭い笑みを撒き散らしているのも、こいつの嫌いなところだった。
「私はエロくないぞ」
「嘘つけこのセクハラ教師が。休み時間のたびに女子侍らしてんじゃねえよ」
「セクハラはしていないし侍らせてもいないんだがなあ」
「あーあーうっせえ近寄んなエロ菌がうつる」
「君、もしかして童貞?」
「んな……っ」
マスタングはにやにやと笑みを浮かべながら「ああ、図星か、へえ、そう」などとのたまっている。
「それがセクハラだって言ってんだよ…!」
「いやいや、そんな。エルリックは処女ではないが童貞、ね」
室内に他の人間がいないのを良いことにぎりぎりの会話が繰り広げられる。にやりにやりとセクハラ紛いの台詞を吐くマスタングと対峙しているというこの状況はかなり居心地が悪い。この教師と向き合うと俺は、いつでも苦しい立場に立たされるのだ。
かあ、と一瞬にして顔に血が集まった俺は、怒りにまかせて部屋を出て行こうと、した。
「…………離せよ」
出ていこうと、したら。
マスタングに手を掴まれた。
「離したら君は出ていくだろう」
「そうだよ」
「それでまた、あそこへ行くのか?」
俺の手を掴んで放さないマスタングを見上げると、さっきのふざけた様子は消えて驚くほどに真剣な目をしていた。思わず気圧される。
なんだよその目は。そういう目が、一番ムカつくんだよ。
「もうやめなさい」
「……それ、何回言えば気が済むんだよ」
「何度でも、君がやめるまで言うさ」
マスタングはぎゅうぎゅうと俺の手を掴む自身の手に、更に力を込めてくる。何度も何度も振り払おうとしてもそれは決して離れない。暖房と時計以外に何の音もしない部屋で、無言の攻防が続く。
俺は不覚にも、泣きそうになった。
他人の中に土足で踏み込んでくるということがどんなことか、どんなに酷いことか、どんなに俺を不安定にさせることか、あんたは無責任にも知らないのだろう。放っておいてほしい、そう言うのにどうして放っておいてくれない。他人同士なのに。
「……っ、」
「いつか痛い目をみるぞ」
「あんたにはっ、」
「『関係無い』?それこそ何度言えば気が済むんだいエルリック」
「てめえ、ムカつく…!」
ぶん、と思い切り腕を振ると、今度はあっけなく手を放された。
掴まれていた手はじんじんと鈍い痛みを訴えてくる。
マスタングは表情の読めない目でしばらく俺を見下ろすと、やがて興味を失くしたように顔を背け椅子に腰を下ろした。
「……遅くまで引き留めて悪かったな。もう帰っていい」
「………」
「君の三者面談にはこの進路希望調査書は使わないでおこう」
床に放っておいた俺の鞄を拾い、埃を払う。その間もマスタングは一度も俺の方を見なかった。
渡された鞄をひったくって職員室の立て付けの悪い扉に手をかけると、俺はマスタングの方に振り返った。
「あのさあ先生。三者面談、どうせうちの親来ないから」
それだけ吐き捨てて、マスタングの返事も聞かずに職員室を出ていった。
無言で玄関をくぐる。出迎えも、おかえりという言葉も無い。いつものことだった。
暗い廊下をわたって突き当たりにあるダイニングキッチンに入ると電気を点けた。白い明かりが照らしたテーブルの上には、小さな紙切れが置かれていた。
『冷蔵庫の中のもの適当に食べておきなさい』
殴り書きされたメモ。
不意に腹が立って、それを乱暴に丸めるとごみ箱に捨てた。
「………」
ちらりと時計を見ると七時半だった。あいつらは外食でもしているのかもしれない。
こんなことなら今日も誰かひっかけてセックスして金でも貰ってれば良かった。こんな家に帰ってきても、良いことなんか何も無い。
苛々して、近くの椅子をがん、と蹴った。俺の椅子。他の三つの椅子とはデザインの違うそれは、真ん中にあるテーブルともなんとなくつりあいがとれていない。仲間外れだ。
俺はこの家の中でいらないものなのだと、こいつらに言われている気がした。
「…………いてえ」
椅子を蹴った足がじんと痛む。
じわりと視界が歪んだのはそのせいだ。
そう、思うことにした。
→NEXT
→戻る