レゾンデトル -プロローグ-

「じゃあ、四万」
「……まいど」
もうすっかり服を着込んだ男から紙幣を四枚渡される。ベッドの中で髪をかきあげて、皺のついたそれを受け取った。

「うおっ、さみ」
ホテルを出た瞬間に吹き付けた冷たい風に、思わず首を竦めた。黒のマフラーに顔をうずめる。さっきの男は、家族の待つ家にでも帰ったんだろうか。
「……ふん」
そんなこと、俺には関係無いけれど。
顔も知らない男だった。下がズボンの制服を着ている俺が男だということは一目瞭然だろうに、それでも繁華街に来ればかけられる声は毎日途切れることが無い。どこかで噂にでもなっているのかもしれない。どうでもいいことだが。
本日の収穫、四万也。
「四万かあ。まああのナリにしたら良い方かな……」
「何がだね?」
「うわっ!」
背後からの声に驚いて振り向くと、そこには呆れ顔をした男の姿があった。
濡れ羽色の髪に、同じ色の瞳。ロイ・マスタング。
今一番会いたくない奴だった。
「またろくでもないことをしていたのかい」
「ろくでもないって何だよ」
「こんな、」
「あっ!」
手に持っていた紙幣をひょいと奪われた。
「返せよ!」
「汚い金をもらって」
「……素直に援交って言えばいいだろうが」
どこまでも性格のひねくれた男を睨む。高い位置でひらひらと揺れる紙幣にはどうしたって手が届かないことは、悔しいが、経験上知っていた。マスタングもそれが分かっているらしく決して手を下ろそうとしない。ぎりぎりと威嚇するように睨むことだけが俺にできる精一杯の抵抗だった。
「教師にそんな下世話な言葉を使えと言うのかね」
「あんた教師が本当に聖職者だとでも思ってるクチかよ?」
「いいや?」
「じゃあいいじゃん」
手厳しいね、とマスタングは苦笑した。降参とでもいうように手をひらひらとさせる。この教師は、俺がホテル街から出てくると時々こうしてふらりと目の前に現れて俺を苛々させるのだ。
どうでもいいから、金返せこのやろう。
「……金」
「ん?ああ、」
さも今気付きましたというような表情で、ひらひら揺らしていた諭吉達を俺の手の中に戻した。小さく扇状に広げてちゃんと四枚あることを確認していると、頭上からマスタングの声が苦笑を滲ませて降ってきた。
「別に盗ったりなんかしないよ」
「どうだか」
「そんな金、盗るくらいなら捨てるさ」
「………」
もう一度睨むと、マスタングは何がおかしいのかにやりと口角を上げて肩を竦めた。
肩にかけていた鞄から財布を取り出し、中に金を乱暴に突っ込む。くちゃ、と紙が潰れる音がした。別に穴が開かなければそれで良いので更に奥に押し込む。紙幣の端がはみ出た財布をたたむと、諭吉はまたしてもくちゃ、と情けない音をたてた。
「エルリック」
「んだよ」
俺の名を呼んだ教師を一瞥する。次に続くであろう言葉はもう、聞き飽きてしまった。
「もうこんなことはやめなさい」
「………」
やっぱりね。
「いつか後悔するぞ」
「あんたには関係ねえだろ」
「あるさ。私は君の担任だ」
「あー。自分が担任やってる生徒がこんなことしてたらあんたの評価に響くんだ?」
「エルリック!」
「じょーだん」
マスタングを真似て肩を竦めてみせると、その張本人は静かにため息をひとつついた。
「…こんなことをして何になる」
「…………あんたには分かんねえよ」
マスタングがこっちを見る。哀れむような、その目。やめろ。そんな目で俺を見るな。それは一歩間違えれば蔑みの目だ。
別に俺は自分の行動を正当化するつもりはないしさっき財布に突っ込んだあの金も本当は俺が持ってちゃいけないもんだということも知ってる。あんたが言いたいことも分かってる。俺のこの行為が何にもならないことも分かってる。
でもそんなことはマスタングには何の関係も無い。
「じゃあな」
「エルリック、」
「心配しなくても明日はちゃんと朝のホームルームから出ますよ、先生」
まだ何か言いたげなマスタングに背を向け歩き出す。
放っておいてくれたらいいんだ。
俺のことなんか。

きらびやかなネオンがあちらこちらで踊る繁華街の中を、俺はもう何も見たくなくて、俯いて早足で通り抜けた。


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