ある日ある夜ゴミ置き場にて 2

「マスター」
「……」
「マスター?」
「……」
「……」
「……」
ゴミ置き場からの帰り道。
すっかり日の落ちた川沿いの道を早歩きで歩き抜ける私の後ろを、ちょこちょこと小走りで少年がついてくる。
金髪の見目麗しい少年。
何故かゴミ置き場で寝転がっていたこいつは、私の名前を訊くなり『マスター登録云々』等と言ってにこりと笑った。自分のことをラブドールだとも言った。
ゴミ置場に捨てられたラブドール。
限りなく犯罪臭い。
大体何だ、ラブドールなんて。どう見ても只のちょっと可愛らしい少年じゃないか。なんて、こんなことを言った手前一応断っておくが、私にはペドフィリアの気もショタコンの気もありません。
「……」
「……」
ずいぶん早足で歩いているが、少年はまだ後ろをついてくる。もしかして、このまま私の家までついてくるつもりじゃないだろうか。
「…………おい」
「……? マスター?」
立ち止まって声をかけると、くりん、と金の瞳がこちらを見上げた。
どこからどう見ても、人形になんか見えない。最初こそ顔が整い過ぎていて無機質な雰囲気を感じさせていたが、こうして私の問いかけに首を傾げて見上げてくる様子なんてどう見ても生きている人間じゃないか。
この子の呼び掛けを無視し続けていたせいかどことなく落ち込んでいた彼の雰囲気が、私が声をかけた瞬間にぱっと明るくなった気がした。
「……君、名前は?」
「だから、さっきも言ったじゃん。エドワード。エドで良いよ、マスター」
「……君ね……ラブドールだとかマスターだとか、そんな言葉をどこで覚えてきたのかは知らんが、遊びはそろそろやめて家へ帰りなさい。もう真っ暗だぞ」
「本当だよ」
「……」
駄目だ。
ゴミを出しに行ったはずが、代わりにとんでもないものを持って帰ってしまっている。
とりあえずなんだか頭が危なそうなこいつを、警察にでも預けてあとはお任せしてしまおうと決心した。軍人は迷子の世話なんかやってない。
「君、家はどこだ?」
「さあ」
「……さあ?」
もしかして、記憶喪失とかいうやつか? なんだか話がややこしくなってきた。
「前はどこかの大企業の社長の家にいた。さっき奥さんに見つかって、追い出された」
「……」
「でも、あの脂ぎったあいつから解放されて逆に嬉しかったけどな」
にしし、と悪戯っぽく少年が笑う。
追い出された?
記憶喪失ではないことが分かって一瞬ほっとしたが、ややこしい話であることには変わりないようだ。
少年の話を聞く限り、雇われてそこにいた訳ではないらしい。清々した様な顔から見るに、本当にその社長とやらが嫌いだったようだ。でも、そもそも雇われていないならなぜそこにいて一体何をしていたんだ?
「EDiシリーズは他のに比べて高いけど、お偉いさん達には人気なんだ。あの時の奥さんの顔、見物だったな。ベッド見て目ぇ吊り上げて、あいつの頬をばっちーんって。痛そうだったなあ、あれは」
「……」
「『離婚よー!』とかって。なんか俺にも一発平手打ちしてきて、その後俺の記憶無理矢理リセットしやがった。でも、記憶って完全には消えないみたいだな。まだ薄ら覚えてる」
「……君、それは、」
「殴られても、しょうがないけどな」
少年は何でもないことのように、はは、と小さく笑う。
彼の話を整理してみると、この子はどこぞの企業の社長とやらの愛人をさせられていて? それが奥さんにばれて、追い出されて。そしてあのゴミ置き場で寝ていた、という訳か。
なんとかシリーズだとかリセットだとかという単語はこの際無視をしておく。話を聞いてみればなんだか可哀相な子じゃないか。
「……大変だったね」
「んー、別に。楽しくはなかったけど」
「今から警察に行って、そして君のこれからを考えよう。さっき家がわからないと言っていたが、親はいるのかい?」
「……いないけど。何それ、俺を警察に預けるの」
下から窺う様に、じとりと視線を向けられた。それまで私にべたべたとくっついていた子どもが、一気に警戒心でいっぱいの雰囲気を身に纏う。
当たり前だろう、と肩を竦めると少年の金色の瞳が一瞬開かれて、すぐに哀しそうな顔へと変わっていった。
「……やだ……」
今にも涙を零してしまいそうなその様子にちくりと胸が痛む。それでも今のこの状況が、私の手に余るものであることには変わりなかった。
「そう言われてもな。行き場が無いんだろう?」
「警察なんかに行ったら、どうせ俺はゴミ処理場だよ。スクラップだ」
やだやだと小さな子供の様に首を横に振って、シャツの裾を掴んでくる。その手が震えている様に見えるのは、気のせいだと思うことにする。
必死に何度も首を振るのが可哀想で僅かに躊躇ったが、小さい手を無理矢理に剥がして溜め息を吐いた。
「いい加減にしなさい。ゴミ処理場やらスクラップやら、君の遊びに付き合ってる暇は残念ながら無いんだよ。警察に行けば色々と世話をしてくれるから、」
「絶対やだ! やだ……どうしたら信じてくれるんだよ」
「……」
ああもう何だこの子どもは。何でこんな日に運悪くゴミ出しなんかに来てしまったんだ。
そうだそもそも私がゴミなんか出しに来たからこんな面倒臭いことになってるんだ。掃除なんてしなければ良かった。いや、でも掃除をしなかったら私は一日中ゴミに埋もれて過ごしていたのか? それよりまず今日が非番でなければ私は掃除なんてものはしなかったはずだ。ん? 私は非番がなくても良いのか? なんだかもうわけがわからなくなってきた。

「見て」

ぐい、と強引に裾を引っ張られて現実に引き戻された。そうだ、今私の目の前にいる少年のせいで私はこんなに疲れているんだ。
金の髪を右手でかきあげて、左の手で何やら首筋を触っている少年が今度は何を言い出すんだろうと、疲れ切った目でじっと見下ろした。
「ほら」
少年は私の方を見上げて、細い左手をひらひらと振ってみせた。
そうやって真直ぐ伸ばした彼の左手には……プラグ……? が掴まれている。何だこれは。
そしてそれは、少年の首筋から伸びている黒のコードに繋がって、コードの根元は長方形にぱかっと開いた皮膚から突き出ていた。
ん? 普通、人間からコードは生えるものなのか?
「……これで信じた?」
彼がぱっと左手を離すと、掃除機のコードの様に黒いそれが巻き取られていき長方形の穴に消えていく。
最後にカシャン、と小さな音をさせて全てが収まった。そしてコードの消えていった穴は音も無く肌色の蓋で覆われ、すぐに切れ目が見えなくなった。
「さっきのは充電用。他にも色々あるけど、これで信じただろ?」
「……」
「それでさ、俺、まだ廃棄されたくねえんだ」
「……」
「もうマスター登録したし、長いものには抱かれろって言うだろ? これからよろしく!」
抱かれろじゃなくて、巻かれろ、だ。それから、いつ君の方が上だなんて力関係が私たちの間でできあがったんだ? なんて、間違いを正してやる余裕も無い。驚きで何も言えない私を余所に、にこりと笑いながら少年はぺらぺらと言葉を連ねていく。その笑顔に軽い頭痛を覚えた。
「さっきも言ったけど、俺はエドワードな」
エドでも良いから、と爽やかに言い放って、少年は「マスタング」と表札の掲げられた一軒家の門をくぐっていった。言わずもがな、そこは私の家だ。いつのまにこんな所まで歩いてきたんだ。

明日絶対警察に突き出してやる、と心に決めて、とりあえず今日片付けたばかりの家へ入るべく疲れ切った体を引きずって私も門をくぐった。


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