大佐と少尉と鋼の



大佐が死んでいる。
正確に言うと、死にかけている。
「あー……」
「あーうーうっせえ」
「……うーは言ってないぞ」
「………」
俺が執務室に入った途端になんだか知らんがばったりと机に突っ伏した大佐は、さっきからずっとそのままの体勢であーやらうーやら訳のわからない唸り声を発している。これは、なんだか落ち込んでいるんだろうか。気味悪いことこの上ないのだが、まだ報告書を見てもらっていない。さっさと目を通してほしいので俺はこうしてソファに座って適当に大佐の相手をしている次第だ。
大佐はまだ回復しない。
「いつになったら報告書見てもらえるわけ」
「私が正常に戻ったら」
「そりゃ一生無理だな」
女の前じゃどうか知らんが、俺や司令部面々の前ではこいつの変人ぶりが余すところなく披露されている。なんか、変なのだ。具体的にどうなんだと言われたらちょっと困るんだが、言動が変だ。たまに行動も変だ。前に「鋼のの馬鹿」と言われた時は馬鹿ってお前ガキか、と思わず心の中でツッコミをいれた。いつだったか、大佐が仕事をサボって窓拭きしてたと聞いたこともある。なんで窓拭き?とにかく俺の中ではロイマスタングイコール変人の図式ができあがっている。
「なんかあったのかよ」
「鋼のにはわからん」
「うわなんかその言い方ムカつくんですけど」
「……鋼のの馬鹿」
「あーはいはい」
またか。いい加減欝陶しくなってきたので、とりあえず茶でも飲みに給湯室に行くことにした。ちょっと飲み物飲んでくる、と告げると、机にべったりと張り付いたまま大佐は曖昧に返事をよこした。


「あ、」
「おっ、エド。久しぶりだなあ」
給湯室には先客がいた。サボっているのかコーヒーカップを片手に雑誌を読んでいた少尉は、俺の声に顔を上げるとにやりと笑った。
「サボりかよ」
「そう言いなさんな。今日は中尉いないんだよ」
あの上司にしてこの部下あり、か。ため息をついた俺を、少尉はにやにやと面白そうに見ていた。
干されていたティーバッグでうっすい茶を作る。少尉の近くの床に陣取ってあまりおいしくないそれを胃に流し込んだ。ううん、まずい。というか薄い。何回使ったんだかわからないティーバッグをずるずるとカップから引きずり出して、そのままごみ箱に投げ捨てた。
そこで、そういえば、とさっきの出来事を思い出す。少尉なら何か知ってるかもしれない。
「なあ少尉」
「ん?」
少尉はパラパラと雑誌をめくっていたが、俺が声をかけるとその手を止めてこちらを向いた。
「さっき執務室で大佐に報告書提出してきたんだけどさ、大佐どうかしたのか?なんか落ち込んでてすっげうざかったんだけど」
「あー…」
ぽりぽりと頭を掻いて少尉が苦笑いする。
「また女にフラれたかな」
「フラれた?」
大佐が?女たらしと名高いあいつが?
確かにちょっと変ではあるが、顔の方は男の俺が見ても整っているなあと思うくらいだ。にわかには信じられない話である。よっぽど中身が駄目なんだろうか。
「大佐モテるんじゃなかったっけ?」
「モテることはモテるんだが見た目と中身のギャップに幻滅するやつが多いらしい」
ギャップ。
やっぱり中身がやばいんだろうか。
思わず眉を寄せた俺を見て、少尉は読みさしの雑誌をわきに置きその中身とやらを俺に説明し始めた。
「自宅はカオス状態らしいし」
カオス。宇宙の秩序が形成される前の未分化の状態。混沌。
「……男の一人暮らしじゃしょうがねえんじゃね?」
部屋がカオスでも暮らすのにはさほど不自由しないだろう。ゴミが散乱しているとなれば考えものだが服やら本やらなら害はないんじゃないだろうか。綺麗過ぎる部屋は落ち着かないという人もいると言うし。
俺がそう言っても少尉は気にせず、大佐がフラれた原因とやらを並べ立ててくる。
「やたら変なコレクションを集めてるらしいし」
「コレクションなあ…なんか几帳面だな」
「デートは遅刻しまくりらしいし」
「遅刻くらい許してやったらいいのになあ」
こんなのフラれるほどか?
話を聞いていく内に俺は自分がだんだん怪訝な顔つきになっていくのがわかったが、少尉も俺の相槌を聞く内にだんだん怪訝な顔つきになっていった。
「……しかも、顔に似合わず極度の甘党らしい」
甘党だとは初耳だ。
「へえー、意外と可愛いとこあんじゃん」
「………」
少尉は今度こそ隠そうともせずに眉間にしわを刻んだ。それを見て俺も眉間にしわを刻んだ。何か変なことでも言っただろうか。少尉の表情に首をかしげる一方で、俺は心の片隅で今度大佐に俺の好きな店のチョコを差し入れしてやろうと思った。そう思う間も相変わらず少尉は変なものを見るような目で俺を見ている。
「…なんだよ少尉?」
「……いや。大佐にそう言ってきてやれよ」
俺が今言ったことをだろうか。なんだか訳がわからない。が、とりあえず頷いておくことにした。
「おう……」
よくわからない少尉の態度に困惑しながら、カップを流しに突っ込んで俺は給湯室を後にした。


「大佐、家がカオスで変なコレクションが好きでデートへの遅刻常習犯で極度の甘党でも俺は別にいいと思うぜ」
「……え?」
執務室のドアを開けてから開口一番にそう言ってやった。少尉、ちゃんと伝えましたぜ。今の今までぐったりとしていた大佐は俺の言葉にのろのろと顔を上げて、それから直後にボッとその顔を真っ赤に染めた。珍しくわたわたとうろたえている。
「な、え、ど、どこでそれを」
「さっき少尉に聞いた。そんで女にでもフラれたのか?」
「………」
たっぷりの沈黙の後にようやっと聞こえてきたのは、「………ああ」という蚊の鳴くような肯定の返事だった。あらら可哀相に。耳まで真っ赤に染まってしまっている。再び机に倒れこんだ大佐がなんだか中年のくせにちょっと可愛く見えてしまったので、ぽんぽんと頭をたたいて慰めてやることにした。
「まあそんなに落ち込むなよ。その人とは縁がなかっただけだと思えば」
「……別にそんなことはどうでもいいんだ。向こうが勝手に寄ってきて勝手に私に幻滅しただけで」
「あ、そう」
「私は、私のその、性癖のせいでフラれたことに落ち込んでいるんだ。だってそんなの自分ではどうしようもないじゃないか。もう嫌だ。もうどうでもいい。甘党の何が悪い」
コレクションと甘いもの以外については性癖と言うか単にだらしないだけで直そうと思えば直せるもんじゃないのかとは思ったが、駄々をこねる子どものような今の大佐にそんなことを言う勇気は俺にはなかった。しかたなく頭を撫で続けてやる。やっぱりこいつは変人だ。
「これで性癖のせいでフラれたのが何回目だか知りたいか?残念ながら言えん。途中から数えるのをやめたからな」
「あ……そう」
「こんなに失敗したんだ。あの子にだってそう言われるに決まってる」
「え?」
大佐、本命がいたのか。なるほどそんなにフラれた後だから、その人にも同じこと言われてフラれるんじゃないかと自信を無くしているわけね。
「そうじゃなくても不利なのに、」
「俺なら気にしないけどな」
「………………え?」
「だから、さっきここに入ってくる時にも言ったけど俺ならそんなの別に気にならないけどな。世の中大佐をフッた人みたいな奴ばっかじゃねえんだから、その人にちゃんとそう言ってみろよ。案外俺みたいに気にしないって言ってくれるかもだろ」
大佐はぽかん、と口を半開きにして俺を見上げている。大佐がまず直すべきなのはその間抜け面だなと思った。
「……君は私を慰めるためだけにそう言ってくれたのかと」
「んな面倒臭えことしねえよ。当たって砕けろだ。それでフラれたらまあ縁が無かったと思ったらいいだろ」
ぐりぐり頭を撫でながらそう言ってやると、大佐はようやく、弱々しくも笑ってみせた。そうだな、と呟いて目を細める。その、大佐の珍しい穏やかな笑みに、ちょっとだけ、ほんの少しだけ、どきりと心臓が跳ねた気がした。あ、いや、気がしただけで断じて実際にどきどきしたわけじゃ、断じて、ないぞ!
「じゃあ、そう伝えてみようかな」
「あ、う、うん、そうすれば?」
早く大佐から離れたい気がして、大佐の頭を撫でていた手をすばやく引っ込め……ようとしたら、それよりも早く大佐の手が俺の腕を掴んだ。
ん?
「ちゃんと言うよ、鋼の」
大佐はそっと俺の手を包んだ。下から見上げてくる大佐の、恐らく初めて見るであろう真摯な瞳に捕らえられた。目がそらせない。息が、つまる。大佐ってこんなにかっこよかったっけ。
え、あれ、なんだこの展開?
「私は………君が、好きだ」
大佐が、真剣にそう告げた
。 え、え、え、ちょっと。
「ま、マ、……マジで?」
「マジだ」
「……………マジで?」
「だからマジだ」
大佐は真剣そのものだ。
いやいやいや。
いやいやいやいや!
なんだこの展開!
顔に一気に熱が集まったのがわかった。大佐の手に包まれた俺の手が、手袋の下でじんわりと汗を分泌し始めている。おかしい。男に好かれてるってのに、嫌悪感をまったく感じないなんて。羞恥は感じまくりだが。ぐ、ともう片方の手で腕を引かれて、バランスを崩した俺は執務机に肘をつく格好で大佐と間近に見つめ合った。
「……!」
「君が気にしないと言ってくれたからね。……私はこれから、君を全力で落としにかかるぞ」
「え、う、あ……」
覚悟しておきなさい。
そう囁いた大佐の顔は、さっきまでの情けなさはどこへやら、憎たらしいほどにんまりとしていた。
こんなことなら、あんなこと言うんじゃなかった。慰めるんじゃなかった。今更そう思ってももう遅い。こんな状況になっているんだから。大佐は顔を真っ赤に染めた俺をじっと見つめてきた。恥ずかしさで心臓がどうにかなってしまいそうになって、ふい、と目をそらす。ふっと小さな笑い声が聞こえた瞬間、唇を柔らかいものがかすめていった。
体が硬直した。
キ、キ、キ、キス………。
「!!」
「ああそんなに固まっちゃって。可愛いなあ鋼のは」
「ううううるせえ!何しやがんだこの!変態!セクハラ上司!」
「ふふふふ」
やっぱりこいつ変人だ。というか変態だ。何この状況で笑ってんの。馬鹿だこいつ馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿変態。
自分でもよくわからない思いつく限りの罵倒の台詞を並べ立てて大佐の手を振り払った。それでも大佐は顔色ひとつ変えずににこにこしている。信っじらんねえ。
「……バーカ!」
幼稚な言葉で締めくくり、俺は足音荒く執務室を出ていったのだった。


『君を全力で落としにかかるぞ』
大佐の言葉が頭の中をエンドレスリピートでぐるぐる巡る。人気のない廊下の隅っこで、こつんと壁に額を寄せた。
ずるい。そんなの、
(……勝ち目が、ねえだろ)
深いため息をついて、俺はずるずるとしゃがんでうずくまった。
いつものおかしな言動や変な性癖と、さっきの真剣な瞳と言葉。そんなギャップは反則だろ。
(ほんと、勝ち目、ねえ)
あの一瞬で惚れてしまったんだから。もうほんと、どうしてくれるんだ。



End.