大佐、相談、いいかな、なんて。
いつも強気で自分に自信を持っている鋼のが、顔を俯かせてそんなことを言い出した時には何事かと思った。下を向いた長い睫毛が震えていた。
正直舞い上がっていたのだ。顔を合わせれば不機嫌さを隠そうともせず、口を開けば可愛くないことばかり吐き出す。そんな生意気で、だけど大切な子どもが初めて直接的に私に頼ってきたのだ。
なんでも力になりたいと思った。思って、次の言葉を聞いて後悔した。
「オレ、好きな人ができたんだけど、どうしよう」
かんちがいすれちがい
「でさあ、その人二週間前とはまた違う相手連れて歩いてたんだよ」
「ふうん」
鋼のの『相談』とやらに付き合い始めてもうこれで五回目くらいだろうか。内容はいつもほとんど変わらない。相手は自分のことをどう思っているのかな、とか、誰か特定の人がいるのかな、とか。いついつとはまた違う相手を連れてデートしていたよ、とか。
私はそんな面白くない相談を持ちかけられる度に適当に、だけどまあ保護者としてそれなりに誠意を持って乗ってやっていた。
鋼のが好きになったとかいう相手は、どうやら相当に遊び人らしい。最近は頻繁に東方に帰ってくるようになった鋼のがいつも「また違う人とデートしていた」と言うのだ。
そんな奴を好きになってしまっただなんて、鋼のも可哀想に。こんなに純粋に、真剣に相手を想う幼い恋心では、きっと遊び慣れた相手にはたちうちできない。初めての恋にしては、相手のレベルが高すぎたようだ。
ご愁傷様。とは、あまりに鋼のが可哀想なので言わないが。
「やっぱさ、オレみたいなガキじゃ、駄目だよな……」
ソファに腰掛けた鋼のがしょんぼりと項垂れる。
鋼のが惚れたと言うのだからその辺のカフェの女の子だとか、花屋の女の子だとか、とにかく彼と同い年くらいの女の子相手かと最初は思っていたのだが、どうやら意外なことに随分と年上らしい。鋼のにそんな趣味があったとは。
こうやって彼が自信を喪失するたびに、隣に座った私はこの小さな金色の頭を撫でてやるのだ。撫でて、それだけ。慰めるしかできない。やがて、小さくすん、と鼻をすする音がした。
いつだったか、殴られるのを覚悟で、諦めたらどうだい、とも言った。だけど鋼のは予想に反して殴りもせず、ただ蚊の鳴くような声で「……そんなこと、できるならとっくにしてる」と呟いた。
長い前髪が影を作るその表情は、私の知らなかったものだった。知らない間に、あんな表情をするようになっていた。私の知らない相手がそうさせた。
どうして彼はこんなに辛い恋をしてるんだろう。辛いことは分かっているのにそれでも諦められないなんて、なまじ彼の気持ちが分かってしまうぶん何も言えない。その気持ちは痛いほどに分かった。
諦めれば良いなんて、そんなの自分が一番分かっている。分かっていて諦められずに、こうして彼の近くで相談に乗れるなんてささやかなことに喜びを感じたりもしているんだから、私もつくづく救われない。
誰も幸せにならない恋なんて苦しいだけだ。鋼のはその誰だか知らない遊び人の年上美人が好きで、私は鋼のが好きで。馬鹿みたいだ。
あー、この小さな頭をずっと撫でていたいなあ。そして抱き締めて、白い頬に触れてみたいなあ。柔らかそうな唇に口付けて、私と付き合ってしまえばいいなんて、そんなことを言ってしまいたい。鋼のが惚れているやつなんかよりずっと、彼を幸せにしてみせる。
だけどそんなことをしたらきっと、こうして彼の相談につきあうある意味幸せな時間も無くなってしまうんだろうなあ。
……あ、なんか、胸のあたりがちくちくと痛くなってきた。もうやだな。どうしてこんなに苦しい恋をしたんだろう。私も彼も、本当、馬鹿だ。
「なんで、好きになっちゃったんだろう……望みなんか、これっぽっちも無かったのに」
「恋なんてそんなものさ。頭でどうこうできるもんじゃない」
だからこそ苦しくて、理不尽だ。
ぽんぽん、と形の良い頭を優しくたたいてやると、涙をにじませ、それでも泣くまいと懸命に堪えている金色の眼がこちらを向いた。
ああもう、どうしてこんな目をさせているのが私じゃないんだろう。こんな表情を私がさせたんだったら、このとろけた飴玉のような目から流れる涙をそっと拭い取ってあげられるのに。顔も知らない相手への嫉妬でこちらまで泣いてしまいそうだ。
「……大佐」
「ん?」
水分で目をきらきらさせたまま、鋼のが軍服の裾を引っ張ってきた。そんな小さなことで動揺してしまう心の内を悟られまいと、努めて冷静に返事を返した。
「少しだけ、だから」
「……鋼、の」
「お願い」
露をまとった睫毛が伏せられ、そのまま小さな体が胸に縋りついてきた。おずおずと背中に回された腕。擦りつけられた頭に、何かの箍が外れた。
「……」
彼はただ人肌を求めているだけだ。そんなことは分かっている。私じゃなくても誰でも、今の空虚な心の隙間を埋めてくれる相手が欲しいだけだ。
だけど、駄目だった。
「鋼の」
「……大佐?」
自分からも彼の背中に腕を回して、ぐっと強く抱き寄せる。小さな体だった。布越しに感じる彼の体温に、体中の血液が沸き上がる。ずっとこうしたかった。ずっと触れたかった。
「私じゃ、だめかな」
「……え、」
「私なら君にこんな顔はさせない。ずっと大切にして、ずっと幸せにする。こんなふうに泣かせたりなんかしない」
一度吐き出してしまえば、あとはもうあっけないものだった。ずっと隠してきた気持ちを、こうも簡単に吐露してしまう。
「君を泣かせるようなやつなんかやめにして、私と付き合ってしまえば良い」
自分が最低なことを言っている自覚はあった。今度こそ、殴られても文句は言えない。
こんな、抱き締めるだけで胸がいっぱいになるような気持ちなんて長い間忘れていた。純粋な気持ちを相手に向ける鋼のの恋心にあてられたのだろうか。言葉では表せない何かが胸の中で膨らんで、収まり切らなくなって、体中が震える。緩やかな衝動のようだった。
そのまま数分過ぎても、おとなしく腕の中に収まっている鋼のは何も言わない。今更ながら、後悔がやってきた。
「はが……」
「……嘘だ」
この重苦しい空気をどうにかしようと名前を呼ぼうとして、遮られた。先程よりもか細い、震えた声だった。
「鋼の、すまなかった」
「あんた何も分かってない、嘘つきだよ」
「……嘘じゃないよ。本当に君を大切にしたい。君を泣かせたりしない。……鋼の、君のことが好きなんだよ」
腕の中の子どもは、嘘、嘘と繰り返す。それでも縋りついてくる腕は私を突っぱねたりせず、むしろ先程よりも強くしがみついてくる。そんな哀しい矛盾に、私まで涙が出てきてしまう。たまらずに、ぎゅっと抱き締めた。
「嘘だよ……だってあんた、もうオレを泣かせてる」
「……え」
何だろう。何か、ものすごく私に都合の良い空耳が聞こえたような気がするんだけど。気のせいだろうか。
「いっつも違う女の人連れて、とっかえひっかえで、こんな男でガキのオレなんて相手にしてくれるわけないって、ずっと思ってた……今でも思ってる……」
「、鋼の……」
「……なあ、本当に? ……本当に、」
嘘じゃない? 煌めいた目で、とろけそうな目で、そう問うてくる鋼のは、不安を顔いっぱいに滲ませていた。指が、腕が、鋼のに触れている体中全てが歓喜に震える。心が望むまま、逃がさないように一層強く少年の体を抱き締めた。
「うわっ!」
「馬鹿だな鋼のは……いや、私も馬鹿だな。夢みたいだ。ずっと好きだった」
衝動に任せて、「苦しい」と抗議の声が聞こえるまでぎゅうぎゅうと腕に力を込めてしまった。二人して馬鹿みたいだ。お互いずっと相手を見ていたのに気づかなかった。
鋼のの目尻に浮かんだ涙をキスで拭ってやると、苦しそうに暴れていた鋼のが急に固まって、それから見る見るうちに耳まで真っ赤にしてしまった。
「ごめん、君の言う通り嘘を吐いたね。私のせいで泣かせてしまった」
「……べ、別にもう、そんなこと」
「これからは泣かせたりしない。約束するよ」
誓うように口付けを落とせば、目の前の真っ赤だった顔が更に赤く染まった。
この少年がいれば、もう心に空いた穴を埋めるためだけの一晩の相手なんてもういらない。だってこうして触れているだけで、体の隅々、指先に至るまで満たされるんだから。
もう一度柔らかい唇に触れれば、鋼のは相変わらず真っ赤な顔をしていたけれど、全てを委ねるように瞳を閉じた。
End.
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